4月 272016
 

毎日新聞 によると。

 熊本市民病院から、隣の熊本県益城町まで車で普段なら十数分だろうか。だが片側1車線の県道には市民や救援の車が殺到し、信号が3回変わっても動けない交差点もあった。何とか進むと、市内では見なかったような、ぐしゃっと崩れた家が目立ち始めた。

 40分ほどかかった。15日午後3時半ごろ、益城病院へ入る細い道は、塀が倒れて破片が散らばり、斜めの電柱に電線がぶら下がっていた。入り口前のアスファルトは隆起と陥没で波打ち、地中の水道管がむき出しに。震度7が襲った町だった。

 「現実とは思えないほど、すさまじい縦揺れと横揺れでした」。14日の地震の際に病院の事務所にいた事務次長の宮崎翔さんは、顔がまだ青白かった。建物をつなぐ渡り廊下の接合部もひび割れた。病院の玄関前の陥没が徐々に広がり、液状化かもしれない、としきりに気にしている。

 病院の職員たちは、患者の荷物をビニール袋にまとめ、玄関まで運び出していた。ヘルメット姿の犬飼邦明理事長によると、入院患者は約200人。病院の設備が被災し、全員を他へ移送するところだという。

 迎えのマイクロバスに患者が乗り込むと、女性職員は「気をつけてね」と手を振った。午後4時の会議で、犬飼理事長は「1週間で復旧し、患者を再び受け入れる態勢を整えたい」と皆に伝えた。

 会議の後、炊き出しのカレーライスを勧められた。何度も断ったが「まあいいから」と笑って差し出され、頭を深く下げてお皿とスプーンを受け取った。大分で買って車に積んだゼリーやクッキーばかり食べていたので、温かい食事は熊本に来て初めてだった。こうやって皆、少しずつ日常に戻っていけるのかな、とその時は思った。

 取材結果を熊本支局へ送ると、この日の仕事は終わった。午後10時前には熊本市中央区のホテルに入り、服をハンガーに掛けてソファに横になった。相部屋の先輩記者を待つつもりが、疲労ですぐに眠り込んでしまった。数時間後の本震のことなど、むろん知るはずもない

 Posted by at 11:25 PM

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