1月 012017
 

dot. によると。

 12月25日に閉幕した全日本フィギュアスケート選手権(大阪府門真市・東和薬品RACTABドーム)で12位となり、今季の日本代表を逃した浅田真央(26)。キャリア一番の正念場で自身最高・女子最高難度のジャンプ構成に挑み、「挑戦したことに悔いはない」と言い残した。

 矜持を見せながらも、世界の舞台を前に今季のトップシーンから去ることになったが、浅田はいま、“真央スイッチ”が入っている。最初にそのスイッチが入ったのは、2010年バンクーバー五輪に向かう時だろう。3アクセル(3回転半ジャンプ)計3本の構成に挑み、五輪本番で成功(ギネス記録)。肉体改造に励み「なにがなんでも決める」と、若さで駆け抜けた。

 そのバンクーバー五輪直後に、2度目のスイッチが入る。五輪で3アクセルを決めたものの、利があったジャンプに難があり苦しんでいた浅田。ソチ五輪に向け「もう一度、自分のジャンプを取り戻す」と、それまで培ってきた全ての技術を捨て、ジャンプの根本となるスケーティングの改新に挑んだ。それはむしろジャンプを悪化させるリスクをはらんでおり、トップアスリートの競技人生をかける挑戦となる。不安はなかったかと後に尋ねると、バンクーバー五輪フリー翌日に計画を立て「まっすぐに」ソチへと駆け出したという。
 今季序盤から全日本選手権にかけては、ソチ五輪フリー前の状況を想わせた。絶体絶命が浅田を呼び覚ますのか。ソチ五輪のようには結果が伴わなかったが、3アクセル計2本ともうひとつの大技3フリップ+3ループに挑戦した。フリーの3アクセルは「なにがなんでも回る」と意気込み、2回転半の判定で転倒になったが力の限りを尽くした。

 このジャンプ構成が完成すれば、ロシアの世界女王エフゲニア・メドベージェワ(17)や全日本3連覇を果たした宮原知子(18)ら女子上位陣を、ジャンプの得点で上回る。今大会の浅田の“勇猛果敢”には、全日本に集ったコーチ陣も魅せられていた。本人は「なぜこの全日本で3アクセルを入れようと思ったのか、自分でも分からない」といつもの穏やかな笑顔をたたえた。

 フリー演技後、浅田は「応援に演技で応えられなかったことが悔しい」と言葉を結んだ。しかしその勇猛果敢な挑戦は、客席にもテレビの向こう側にも伝わったはずだ。映像の世紀は、アスリートを千両役者にした。浅田が一直線に2018年2月の平昌五輪に向かう、その一瞬一瞬を私達は共にすることが出来る。浅田の雄姿をいま、胸を熱くして見守ってほしい

 Posted by at 1:05 AM

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