浅田真央が自らのアイスショーに込める想い「自分1人のプログラムじゃない」

BUSINESS INSIDER JAPAN によると。

「幸せはリンクの中に~浅田真央 人生の第2章~」(東海テレビ制作・フジテレビ系全国ネット)を見た。2017年4月の引退会見から1年、浅田さんは5月から自ら演出するアイスショー「サンクスツアー」を開いている。そこに至る半年に密着したドキュメントだった。

普段の浅田さんは、自分のことを「真央」と呼んでいた。浅田さんが中学1年の時から取材をしているという東海テレビプロダクションのディレクターによる取材だから、素顔が撮れたのだろう。「今日から撮影です、よろしくお願いします」で撮った映像なら、同じ練習風景でも「真央が」とならず、「私が」になると思う。
大人の女性としての「真央」
浅田さんが自分を「真央」と呼ぶのを初めて見たのは、多分、彼女が15歳でグランプリファイナルに初優勝した2005年だったと思う。

「真央が1位ってことですよね。びっくり、びっくり、びっくり」

「くるみ割り人形」冒頭でトリプルアクセルを決めた少女が、まん丸い目で言っていた。

それから13年、浅田さんは27歳になった。でも「真央」という一人称を子どもっぽいとはちっとも感じなかった。大人の女性として自分というものを理解し、意思を持って進んでいることがよく分かったからだと思う。

むしろ、一筋の道を歩んで来た人のピュアさの象徴のように感じられた。

浅田さんは番組内で、Superfly・越智志帆さんと対談をした。曲を練習でよくかけていて、特に好きな曲は「Wildflower」。初めて聞いたとき、「私にピッタリな曲だと思ったんです」と話していた(公の場での一人称は、当然「私」だ)。

歌詞のどこが自分に重なると思ったか、彼女なりの表現をした。

“「幼い頃はただ前にまっすぐ進み、大人になってからは悩むことが多いけれど、それでも前に進んできた、と言う歌詞があり、そこで「咲き誇れワイルドフラワーのように」と志帆さんが歌い、そこからまた強く歩んでいくとつながる部分が自分にリンクして、「そこが大好きで、壮大な曲だなと思っているんです」”

「Wildflower」がかかった。

“幼き頃はわけもなくまっすぐ歩いて
いつからかそれなりの理由見つけた
運命だろうか?
夢か使命か?
わからないまま
時折懸命に悩みながら 知ってく私を
咲き誇れワイルドフラワー”

そこに浅田さんの映像。グランプリファイナル初優勝から始まり、バンクーバー五輪のフリー、ソチ五輪の涙、最後は引退会見だった。

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