パフォーマー「町田樹」は氷を降りる…プログラムは『ボレロ』

TOKYO HEADLINE WEB によると。

 東京は今季一番の暑さと朝の天気予報で伝えられた7月13日。西東京市のダイドードリンコアイスアリーナの屋外テントの取材エリアで、町田樹は額に汗をにじませながらも、晴れやかな顔をしていた。

「10月6日(Japan Open/Carnival on Ice・さいたまスーパーアリーナ)をもって、もう氷の上でパフォーマンスすることは一切ないのか」との報道陣の問いに、「そうですね、はい。引退です」と言い切った声は明るかった。それ自体が、氷の上で自身ができることはやり切ったということを表していた。

 世間的には2014年末の全日本選手権(長野)における、世界選手権代表挨拶の場での突然の引退発表で氷上から降りたと思っている人も多いが、町田の闘いは場所をアイスショーに移して続いていた。

 2015年4月1日、インターネット上に突じょ現れた「公式サイト」( http://tatsuki-machida.com )で、2015年ゴールデンウィーク開催のアイスショー『プリンスアイスワールド』横浜公演に出演するとの発表があり、偽物だのエイプリルフールだの疑われたかと思えば、披露された演技は6分弱という長さで観客の度肝を抜いた(フィギュアスケート男子シングルのフリー演技時間は当時4分半)。

 競技引退後の町田は、「本業は学生(早稲田大学大学院スポーツ科学研究科在籍)」「滑るのは研究の一環」と位置付けていた。競技で戦うアマチュアスケーター、引退してショーで活動するプロスケーターの2つの括りしかなかったフィギュアスケートの世界に、ショーで活動する学生スケーターとは何ぞや?と議論を巻き起こした。チケットもぎりの所で大学の研究アンケートを配ったこともある。取る行動の悉くが「前代未聞」と言われ続けた。

 かつて戦った羽生結弦が競技の世界で世界最高得点を更新していく一方、町田はショーの世界で斬新なプログラムを生み出し続ける。2016年のプログラムは松田聖子の『あなたに逢いたくて~Missing you~』。日本人なら誰もが知る大衆歌だが、公式サイトのプログラムアーカイブ(本人作ライナーノーツ)では「相聞歌」「テーマは、“夢は呼び交わす”」とアカデミックに解説。2017年のバレエ『ドン・キホーテ』は真紅の幕を張り、独演による3部作構成。曲はオーケストラ開演前に聴かれるチューニングの「プォ~」という未完成な音から始まり、場は芝居のごとく暗転。ちなみにフィギュアスケートでは発表済みの完成された曲が用いられることが殆どで、演技中真っ暗になる時は停電である。町田の初演時にはいつも観客席に期待とざわめきがあった。

 このように書くと「難しい人」にも思われそうだが、町田を形容する際に周囲の人たちが「いい子」という言葉を使うことが何度もあった。彼はすべてにいたって大真面目で、報道陣からの質問にも一つひとつ丁寧に答えてくれる。そこに五輪で有名になったから君たちとは違う、といった雰囲気は微塵も無い。プログラムにも真っ向から大真面目にぶつかって、演技後よく力尽きて動けなくなっている。

 彼のそういう真面目な不器用さは人気があったが、一方で、慣例をぶち壊したり、周囲と歩調を合わせないような行動を疑問視する声もあった。有名になる前の町田は、素直な喋りのどこにでもいる好青年だった。どちらかというと控えめで、技術はあるのに一歩引いたところのある選手だった。「氷上の哲学者」と言われ出してからは、素の町田本人とは別に、独特の言葉を用いてある種「町田樹」というスケーターを作りブランディングしようとしているように見えたが、それにより壁を設けて本当の自分を守ろうとしているようでもあった。

 だが今回会見に現れた町田に、肩肘を張ったような雰囲気は無かった。町田の“完全なる氷上からの引退会見”に、テレビ新聞あらゆる媒体が集まったが、「28歳半ばと言いましたが、アラサーです(笑)」と報道陣を笑わせる場面もあり、会見は和やかに進んだ。拠点を関西から東京へ移して以来使用していたホームリンクの関係者や練習を共にした若い選手たちへ深い感謝の言葉を述べ、「夢は大学教員だがこれでさようならではなく、必ず何らかの形でフィギュアスケート界の力になれるべく努力するので、報道陣の皆様にも今後ともお付き合い願いたい」と頭を下げるような言葉もあった。

 コーチですら寝耳に水だった根回し無しの突然の競技引退から4年、会見での「現役時代の『町田樹-フィギュアスケート、ニアリーイコールゼロ』のイコールの先の数字を大きくしようとしてきた」という言葉通り、人としての幅を広げるべく努力を積んできたのだろう。慣例に抗い作り上げてきたパフォーマー「町田樹」の仮面をゆっくり氷の上に置こうとしている今、ソチ五輪以前の控えめな青年から自信を持った一社会人へと成長した町田の姿が見えた。また自分の行ってきたことに納得し、氷に未練が無い様子が見てとれた。

 8月18~19日のプリンスアイスワールド広島公演でフィナーレを迎える2018年の町田のプログラムは『ボレロ』。フィギュアスケートの歴史をベースに、氷の魔力にとり憑かれてしまった男の悲劇を人間の身体性を表現しながら描く。2015年12月31日、東京で代表作『ボレロ』の上演をもちステージを降りた天才バレエダンサー、シルヴィ・ギエムの日本へのメッセージが思い出される。「さようならは決して簡単なことではありません。どのように言っていいか分からないし本当は言いたくありません。けれど私は踊ることが大好きです。ですから踊りをみなさまのために。このさようならに!」パイオニア・町田樹の新しい道はずっと続いていく。

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